いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
これは、辻仁成さんの小説「サヨナライツカ (幻冬舎文庫)」の冒頭の一節。
今これを書いているのは、金曜日の22時半なのですが、金曜日は少しオトナで、少しエロティックな話をする回にしたいと思っています。
この本は、もういつだろう。思い出せないくらい昔の話。とってもとっても大切な友人から教えてもらった本。そして彼女は僕に聞きます。
「感動するから読んで。そして聞かせて欲しい。あなたはどちらなのか。」と。
あなたは最期に、愛されたことを思い出すか、愛したことを思い出すか
この本は、結婚を間近に控えた「豊」が、絶世の美女「沓子」と、バンコクのピアノバーで出会うことから物語が始まります。
豊は、航空会社の広報部の社員で、旅行キャンペーンのためにバンコクを訪れます。豊のあだ名は「好青年」で、将来が有望視されたエリートサラリーマン。それが、大金持ちだけど心に深い傷を負った沓子との一夏の恋に溺れ、堕落していきます。
でも、豊は思いとどまります。そして、日本に帰りごくごく平凡な、そして幸せな生活を過ごすことになります。
「沓子」の身に起こった大きな問題を、バンコクから届いた彼女の手紙で知るまでは。
サヨナライツカ
人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す
物語の1ページはこの書き出しで始まります。
あなたは、死ぬとき「愛されたこと」を思い出したいですか?
それとも「愛したこと」を思い出したいですか?
僕はこの問いをこの一週間、色々な人に聞いてみました。
ちなみに、問いはもう一つ。そもそも愛ってどういうものか?もしも以下で表現するならどちら?
愛は、酸素のようなものか、それとも水のようなものか
あって当たり前だけど、無いと一瞬で死ぬ
「愛は、水のようなもの」
なくても少しは我慢できるが、どうしても欲しくてたまらなくなる時がある
この二つを組み合わせると、4象限に分かれます。
B:愛されたことを思い出したい。愛は酸素のようなもの。
C:愛したことを思い出したい。愛は水のようなもの。
D:愛したことを思い出したい。愛は酸素のようなもの。
いつくか質問してみて分かったんですが、これはその人の幼少期の経験や、その人が置かれた現状に大きく作用されます。
今仕事を優先したいのか、家庭を優先したいのかも影響します。
幼少期苦労された方ほど、A寄りになります。
そして過去も現在も愛に満ちた生活を過ごしている人は、D寄りになります。
でも、不思議と、A寄りの方は、人間的魅力に満ちた人が多い気もします。
さらに、面白いことに時間や少しの環境の変化により、変わります。
挙げ句の果てに、愛したことも思い出したいし、愛されたことも思い出したいと言い出す始末。
人間って本当に面白くって、豊かな精神をもった生き物。
さて、あなたはどちらですか?
是非コメントくださいね。