今日も寒いですね。土曜日はいかがお過ごしでしたでしょうか?
僕は朝から息子を塾に送り出し、その後ジムと読書。息子が帰ってきた後はまた一緒に勉強と、いつもの土曜日の生活を送りました。
多分、僕と同じような生活スタイルを送っている受験生を持つ父親も日本に多数いるんだろうな?と思い、早くこの消耗戦から脱出しご機嫌に遊んで暮らせる将来を期待して頑張っております。
ところで、この消耗戦という言葉ですが、まあ中受はしょうがないとして、それ以降の学校生活や大学受験、就職した後も消耗戦になってしまわないように、ちゃんと今から息子に色々教えてやらないとな。と思っています。
あなたの職場にはいませんか??朝早く出社して夜遅くまで残業。人生を消耗している人。
ウチの会社はとっても多くて、特に管理職は大体消耗人ですね。
そういう僕はというと、実は前職ではめちゃくちゃ消耗してました。
前職の僕はこんな感じ
デザイナーになりたかった夢が叶い、がむしゃらに働く
2003年:激務をこなしつつ、一級建築士の勉強開始
顧客と会社からこき使われる毎日でも希望に満ち溢れる
2005年:建築士試験不合格
2006年:建築士試験不合格
今思うと、とにかくブラック企業でした!どれくらいブラックだというと、、
毎日終電まで働きましたが、残業代はゼロ。
土日も働き、半年間休み無しという時もありました。
もちろん、休日手当は出ません。
営業交通費は、月3000円。
すごくないですか!!?すごくないですか!!?
当時のデザイン業界って、結構こういうところ多かったと思います。
それでも初めの2年はとっても楽しかったですね。自分のデザイナーとしての能力がどんどん高まっていくのが実感できました。
でも、3年目以降、暗黒の時代が始まります。とにかく多忙で、仕事以外の時間が捻出できず、建築士試験に2年連続で落ち、大きな挫折を経験しました。
そして、5年目に差し掛かったある日、気づいたんです。
このまま続けても、レッドオーシャンで戦う人生が待っているだけ。ここで消耗している場合ではない!
ということで、28歳で、信託銀行に転職(契約社員として)。
一旦、建築業界から離れて、不動産・金融業界に自分の居場所を作ることにチャレンジしました。
転職して初めの2年はがむしゃらに働きました。働きながら1年間で宅建などの必要試験5資格全て取得。体を壊して1週間休んだり、リーマンショックがあったりと色々大変でしたが、でも結構色々な人に重宝されました。
なぜかというと、「建築・デザインの知識がある銀行員は希少性が高い」から。
そう。金融業界では、建築デザイナーはブルーオーシャンだったんです。居場所を変えてみると意外とうまくいくことがよくわかりました。
これって、恋愛でも同じことがいえますよね。
男ばかりの職場であったり、イケメンばかりの恵比寿だったり、そんなところで彼女を探しても、競争が激しすぎて勝ち目はありません。
でも、女性ばかりの幼稚園だとか、女性ばかりのアパレル店舗だとかで働くと、男性が少ない分、極端な話入れ食い状態です。
そう。あなたの能力を生かすには、トップになる必要なんかないんです。
自分の獲得した能力が埋もれない場所を見つける
「戦略」とは、戦いを略すると書きます。どう戦わず勝つか。そのためには自分のポジショニング大事ですね。
そんなことを、ジムで筋トレしながら、筋肉ムキムキの兄さん見ながらそう思いました。
ここでは、僕は勝てない!と。(笑)
息子よ。うまく世の中を泳いていくのだぞ。
(今日も彼はKindleでマンガばかり見てます。w)